思えば3月下旬に母親の尿毒症で入院した。学校の帰りには何度も見舞いに行き、様子を見に行った。担当医者によると、尿路結石も併病しているとのこと。いったんそれまで施設で世話をしてもらって、空き病院ベッドがあれば、尿路結石を治すための病院へ転院することになった。そのあたりの経緯を簡単な紙にし、寝ていた嫁に渡した。その紙を読んで、嫁が怒り出し、喧嘩になった。
母親はレビー小体型認知症も患っていた。レビー小体型認知症とは、※「幻視やパーキンソン症状、認知の変動、レム睡眠行動障害などを特徴とする認知症」 です。昨年の11月頃から「物盗られ症状」が表れ、置き忘れた入れ歯がなくなったことを娘のせいにして喧嘩になったりした。この頃から物忘れがひどくなり、料理で火をつけっぱなしで鍋を焦がしたりすることが何度もあった。去年の12月頃から今年の2月頃には、幻聴・幻視症状が多く現れることがあった。冬の夜寒い中、誰かが太鼓の音を鳴らして私を(母親)を呼んでいる。」ということもあった。幻視としては、娘の出勤時には、居もしない人が待っているとか言うことが多くあった。昼間には庭に居もしない人がたくさん来ている、と言うこともあった。
1月2月頃には、幻視症状がひどくなり、近くの病院から紹介もあって、認知症専門の病院に通院することになった。薬の症状は良くなることはなく、現状を維持する程度のものであった。レビー小体型認知症そのものを治すための薬は、現在ないらしい。
※レビー小体症認知症の介護がわかるガイドブック:小阪憲司、羽田野政治
さて、口げんかから大喧嘩になった。嫁を投げて膝で首を押しつけたりした。そのうち娘が警察に連絡し、呼び出されることになった。喧嘩の前後は私も怒りが治まらず、部屋の中を壊したりした。
私は3年ほど前から高砂市にある神経内科に通院している。次の神経内科への通院日、診察の途中に嫁と弟がその日のこと(喧嘩)を話した中で、これは入院させた方がいいということになった。嫁と弟が来なかったら現在のようなことにはなっていたはずである。
その後夏休みまで病気療養の予定であったが、学校長・病院長の勧めもあって、次の年の3月31日まで病気休業になった。その期間5月頃、PTAからの反感もあって「授業を見せて欲しい」との意見も出てきた。理科の専科をしているが、食用の植物を食べて胃から吐き上げることもあった。このことは、新聞にも載せられた。
5月から8月まで病気療養との病院長からの指示があった。9月から学校に復帰できるという望みがあったわけである。8月の終わりには9月以降もしばらく休んで欲しいとの学校長・教頭からの話があった。その時の話では、身分保障が残り、給料もしばらく8割程度もらえるとの話であった。「ゆっくり休んで下さい。」と何度も話された。そのうち9月から来年の3月まで休業させるとの病院長からの指示があった。病院長から来年度4月から復帰できるとの話があったわけである。
その間、学校長と教頭から病院長との話し合いがあった。その中でPTAとの関連もあって、来年度は復帰できないだろうとの話があった。
11月下旬から12月上旬には学校長・病院長の退職勧奨もあって、11月の下旬には退職願を提出することになった。2012年3月31日をもって退職することになったわけである。57才をもって退職となる普通に勤めていれば後3年間勤めることができるわけである。
思えば38才の頃、鬱病を発症した。数ヶ月の療養であったが、薬の飲み忘れもあって、躁病になってしまった。その後半年ほど経ってから普通学級の担任ではなくて、音楽の専科を受け持つことになった。
その学校には6年間勤めて、次の年は小規模の学校に移動した。3年生の担任であった。わずか1ヶ月の担任生活であった。その間の1ヶ月にPTAの反感があって、担任をおろされることになった。次の3月まで病気療養になった。病名は躁病であった。躁病状態ではほとんど家におらず、あちこちを出かけることが多かった。釣りに行ったり、それから姫路城横の歴史博物館に何度も足を運んだりした。また、海が好きで、ダイビングの免許を取得し、一人でダイビングに出かけたりもした。
結局、籍を置いた期間は1年間だけであった。
次の年は中学校に赴任することになった。教科は体育。2級免許なのでチームティーチングという形で授業を受け持つことになった。勤務していた6年間の後半は特別支援学級(当時は障害児学級)とか数学のチームティーチングを担当していた。6年間の勤務期間は、躁鬱病の発症もなく、担当していた授業をこなしていた。
その期間はインターネットが始まり、、私も興味を持っていた。各学校に回線のついたコンピュータが導入され、ホームページを作成することにになった。私は各学校を訪問し、ホームページの作り方や回線への繋がり方を教えたりもした。
6年間の勤務時間は特に躁鬱病が発症することもなかった。職員同士の大きな諍いもなく、私への攻撃もなく、過ごしやすい期間であった。
新任の頃に勤めていた学校は、何もかもが新鮮に感じられた。そして中学校に勤めた後、新任の
時と同じ学校へと移動することになった。そこで10年間勤めた学校は、校舎も運動場も同じだった。勤めていた顔ぶれは大きく変わっていたが。
時と同じ学校へと移動することになった。そこで10年間勤めた学校は、校舎も運動場も同じだった。勤めていた顔ぶれは大きく変わっていたが。
新任の3年間はベテランの先生方からの暖かいアドバイスとか励ましもあって、過ごしやすく思えた。勤務時間も午後5時には帰れるようになっていた。
次に勤めていた学校は、がさつい子が多かったが人なつこい子も多かった。7年間勤めたが、前半の4年間は校内TV放送をベテランの先生と一緒にビデオを使って撮影、編集などをしていた。撮影は撮影していた時間だけで済んでいたが、編集作業によく手間取った。編集しながら字幕を入れたりもした。後半の三年間の校内TV放送は、私がメインになって撮影・放送作業を担当していた。校内TV放送をする中で、後半はパソコンを授業に取り入れたりもした。私個人のパソコンを取り入れて、授業に使ったり、休み時間にPCでドリル学習を使わせたこともあった。
この新任3年間、次の学校の7年間は躁鬱病にかかることはなかった。
次の学校での前半は、赴任2校目の学校での経験を生かして意欲的に授業をしていたこの学校での4年目までは、ずっと普通学級を担任していた。4年目の最後の頃に鬱病にかかり神経内科に受診されたこともあった。しんどいこともあったが、休むことはなかった。5年目の春になって、鬱病で休み、自宅療養をすることになった。数ヶ月自宅療養した後、冬頃になって、躁病にかかってしまった。次の年はこのブログにも書いたように音楽の専科をしたこともあった。
最近の教員は帰宅時間が7時から8時が普通、遅い人は10時頃まで残っている。思うに、教育活動として授業準備・教材研究以外の文書作成や、事務的な仕事が多すぎるのが原因だろうと思う。ここ10年間は次第に忙しくなってきた時期でもある。新任の頃からその後約20年間は、夏休みも自宅研修と称して文1行の報告で済ませていた。
前任校では10年間勤めた。ここ10年ほど前からは春休みや夏休みなどで自宅研修の日が取れなくなっていた。何らかの出張、研究会以外には学校で勤務しなければいけないことになった。
10年間勤めていた、そのうち3年間は特別支援学級を担任していた。初めてのことも多かったが、熱意を持って勤めていた。
他の7年間は理科の専科をすることが担当した。年度末に校務分掌検討会と称する会がある。校長が主に実権を持つのだろうが、検討員の一言によって大きく分掌も変わってきたこともあると聞く。疑問も多い。次の年度での校務分掌で学年・専科を決定することになっている。
各人は希望の学年・専科・教科をカードに書いて提出することになっている。何度も普通学級の担任を希望したが、受け入れてもらえなかった。
もう一つ疑問として10年間勤務していた中で一度も校務分掌検討委員にならなかった。年齢上でも
中堅以上であり、よほど管理職からも嫌われていたのかもしれない。
そして10年間の勤務のうち8年目の途中に鬱病にかかってしまった。理科の専科をしていた年である。次の年度も鬱病が続き、休むことになった。
中堅以上であり、よほど管理職からも嫌われていたのかもしれない。
そして10年間の勤務のうち8年目の途中に鬱病にかかってしまった。理科の専科をしていた年である。次の年度も鬱病が続き、休むことになった。
10年目には希望していなかった理科専科を外された。
聴覚特別支援学級に担任になったのである。交流学級と協力し、苦しかったが、頑張ることができた。
そして現任校に赴任して、今年の5月には病気療養になったわけである。来年の3月には退職することになっているが、今思えば悔しい気持ちが強い。あの嫁との喧嘩さえなければ、精神病院への入院さえなければ、現在も勤めているはずである。
前任校では、送別会で60才までこの職業を続けていくつもりである、と話した記憶がある。その話も齟齬になってしまったことになってしまった。
躁鬱病の躁状態は、インターネット(Welio辞書)によると、
「気分が高揚し意欲の亢進(こうしん)や思考の促進がみられる精神状態。爽快感があり、多弁で話の内容は誇大的、時に観念奔逸がある。活動性は高まるが行動に統一性がなく抑制がきかない。躁鬱(そううつ)病の典型的症状であるが、身体疾患やアルコール酩酊状態でもみられる。」ということである。
書いてあることと違うのは、私は決して多弁ではなく身体疾患やアルコール酩酊もなかった。
躁鬱病はこれからも一生つきあって行かなければならな病気であるらしい。現在の精神状態は躁でもなく鬱でもない状態であるが、退職後のことを考えれば空しい気持ちが強い。家でゆっくり過ごしていていいのか、何か仕事を見つけて転職すればいいのか、現在迷っている状態である。
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